1967-07-10 第55回国会 衆議院 本会議 第36号
先生は、なくなられるその日の午後、会館に私をたずねてこられましたが、用談が済んでからも、さきに行なわれた地方選挙のことや、かつて北海道知事選挙に立候補した当時のことなど、時のたつのも忘れたかのように、次から次へと懐旧談をされた後、翌日の再会を約して別れたのであります。
先生は、なくなられるその日の午後、会館に私をたずねてこられましたが、用談が済んでからも、さきに行なわれた地方選挙のことや、かつて北海道知事選挙に立候補した当時のことなど、時のたつのも忘れたかのように、次から次へと懐旧談をされた後、翌日の再会を約して別れたのであります。
懐旧談を私は承っておるのです。そして八千フィートあれば大丈夫だと、そして日本のパイロットでF86FあるいはF86Dこれに習熟したパイロット、三、四ヵ月訓練すればF104のロッキードを乗りこなせるといっておりますけれども、訓練が高い程度のものを要求して無理をするから、今後こうした事態が起こってきますよ、改めなければ……。
こういうような懐旧談を私は聞かされて来たのであります。聞くところによると、ダイヤモンドを扱つた人は相当成金になつておるということを二、三私の耳に入れて、その現場を見るようにと忠告を与えられております。私は国家多難なときに、できたら、この国民の血と汗によつて供出されたものが、幾分でも国家のお役に立ち、国民の生活の一部にでもすることができたらと思いまして、これまでも努力を続けて参つておるのであります。